一つのエポックが又過ぎ去ったの感が強い。
享年84歳は意外と若かったと思うほどへストンの経歴は古い。
12歳の時に両親が離婚。 高校時代に演劇の面白さに目覚め、ノースウエスタン大学では言語学を専攻しながら学生演劇や弁論大会に参加し、41年には大学で製作した自主映画『Peer Gynt』で主演を務めて映画デビューを果たす。 44年に大学を卒業すると、大学で知り合った演劇仲間のリディア・クラークと結婚。第二次世界大戦時は空軍に入隊してB29爆撃機の無線技師の任務につく。 戦争が終結するとニューヨークに移ってキャサリン・コーネル劇団に入団。アート・スチューデント・センターで時給1ドル25セントのヌードモデルの仕事などをしながら演技を磨き、47年の舞台『アントニーとクレオパトラ』でブロードウェイ・デビューを果たす。 舞台だけでなく生放送のテレビドラマ『Studio One』にも出演し、『ジュリアス・シーザー』や『嵐が丘』などの古典文学の主人公を演じて人気を集める。 『カサブランカ』(42)の製作者ハル・B・ウォリスに見出されて、犯罪映画『虐殺の街』(50)でハリウッド・デビューを果たし、 52年にはセシル・B・デミル監督の『地上最大のショウ』に出演。サーカス一座の人間模様を描いたこのオールスター・キャスト映画で、ヘストンは一座の団長を演じて一躍注目を集める。 ヘストンを「ミケランジェロが手掛けた聖書の人物の彫刻にそっくりだ」と評したデミルは、彼の遺作となったスペクタクル 史劇『十戒』(56)の主人公モーゼ役にヘストンを抜擢。 莫大な制作費をかけた『十戒』は興行的に大きな成功を収め、モーゼ役を好演したヘストンはスターとしての確固たる地位を確立する。
これだけを見てもぽっと出の映画スターではないことがわかる。
彼と同じジャンルの映画スターはジョン・ウェインが片方の雄である。
ジョン・ウェインは米国人のハート、チャールトン・ヘストンは米国人のソールといえようか。
RIP
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by 校長
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